野球監督のことしか思い浮かばない方のために書いておくと、北九州市の洞海湾沿いの町の名前だ。戸畑の対岸。海峡のように見えるが、実は北九州に入り込んだ細い湾の対岸。この湾は細いので川のようにも見える。実際川も流れ込んでいるが、その河口というにはその川が細く、この湾は大部分海水なのだろう。
若松には海岸に公園や遊歩道があったり、古い建物が保存されていたりする。この辺りでは高塔山から北九州市を見渡す絶景の展望台、少し離れるが、響灘から関門海峡まで見渡せるグリーンパークのひびきタワーなど海の絶景ポイントもある。特別な観光名所があるわけでもないが、海と路地歩きとちょっと古い町が好きな人間には、なかなか面白い。
「ごんぞう小屋」という。現場の説明書きによると、若松はかつて日本一の石炭積出港として栄えた。明治大正の最盛期には4千人の荷役人(ここの通称で「ごんぞ」または「ごんぞう」)がいたそうで、この木造の建物は彼らの詰め所を再現し休憩所として使われている。階段状の護岸(尾道では雁木)は「弁財天陸上場」のあとで、常夜灯も大正期のもの。陸上場は平成8年に一部補修して再現したとのこと。大事なことである。
古い町と赤い吊り橋。橋の大きさは写真ではなかなか伝えられないと思うが、これは現場に行くと凄い景色なのだ。良い悪いは別として。
建設が始まったとき、その景色の変貌振りは地元にどう映ったのだろう。少なくともこの部分を工事しているときは、窓を開けると「空に人がいた」という感じだったのではと想像する。とにかくこの辺りでは普通の高速道路などより、ずっと高いところを走っているから、別世界が空中にあるという感じだ。
振り返ると海があった。尾道ファンの私にとって、なんとも親しみを感じる風景だ。造船所や橋や渡船や山。そして港町としての歴史。道具立てとしては尾道と共通点も多い。
とにかく何の上でも通っちゃうのである。若松恵比須神社は境内も広い立派な神社だった。隣は若松区役所。
橋がなかった頃の風景を思い浮かべることが出来ないぐらい、インパクトのある風景。1962年に出来たそうで、その後出来た数々の日本の吊り橋技術の大本になっていると言える。実はこれを書いている平成17年9月30日、この橋は道路公団から北九州市の管轄になり「ハイウェイカードが使えなくなります」という告知がネット上にも載っている。たまたま記念すべき日だ。
この橋は現在歩道がないから渡船が時代遅れになることはないだろう。つい最近渡船もまた料金が100円になるという変更があったばかり。
若松に関して大変面白いホームページを見つけたのでご紹介。「若松探検隊」の「今では信じられない若松の昔話」に若戸大橋の面白昔話がある。これをみて、また行ってみたくなった。
この景色、この建物、確かむかしサスペンスドラマ(多分「火曜サスペンス」)で見たような気がする。
関門橋は町なかから町なかに架かっているわけではないので、若戸大橋の景色の方が小さい割に建物との対比でインパクトがあるような気がする。まだまだ歩き足りないので、機会を見つけてまた行きたい町だ。
最近のコメント